祝・・・第3楽章 [イベント]
実はおひらきになる直前私はチャペルにいた
照明の設定
音楽のセッティング
事前に音楽の操作は確認済みだったはずが
あれ
なんか違うボタン押したぁ
音楽がかからないぃ~
幸いにもうっすら賛美の有線が流れてる
もうこれでいいや
本当に今日は皆ありがとう
と帰ろうとする父
きやぁ~待って
慌てぴょこりをチャペル控え室に隠す
皆で写真撮るから待っててと父をチャペルの最前列に案内
さぁ次は母
妹たちが時間稼ぎをしてくれてるはず
う-てぃと甥っ子スタンバイ
皆チャペル内へ移動
母と私だけ廊下に取り残され
母の目が丸くなった
何なにどうしたのと
困惑している・・・
さて
ではお母さまお手をどうぞ
困惑しながらも素直に手を出す母
若い頃は今の私と同じ位の背があったらしい
手を取って見ると
見下ろす位になったいる
そしてチャペルへ
チャペル前ではなんとも紳士なう-てぃと甥っ子が
王子様みたいに出迎え
母の両サイドへ立ち腕をくの字型へ
2人と腕を組ドア前に
ここでリングガ-ルならぬブ-ケガ-ルのびょこりが登場
控え室からブ-ケを持ってバ-ジンロ-ドを進み父の手へ
それではお母さんの入場です
パチパチパチパチ…
バ-ジンロ-ドをうてぃと甥っ子のエスコートづ母が歩く
バ-ジンロ-ドって今まで生きて来た道のりを表している
これから結婚されるご新婦さまのためにあるもの
でも今日は母のためにあるバ-ジンロ-ド
皆の拍手に包まれ母が歩く
祭壇前で父がブーケを持って待っている
では2人は祭壇へどうぞ
これからブ-ケブ-トニアの儀式の始まり
ではお父さんからお母さんに伝える事があると思います
ブーケをプレゼントしながらお願いします
(事前にお願いしてあった言葉は実は前の会で言ってしまったみたい きってどこで言うのか分からなかったもんね)
での父は話出した
今まで支えてくれてありがとう
2年経ったら必ず帰ります
それからまたゆっくり2人で過ごしましょう
そして必ず88歳までがんばります
ブーケの中には返事をする為のブートニアが入っている
お母さん ブートニアをお父さんの胸に返事を
返しながらお願いします
お父さん帰ってくるまで本当に身体が心配です
とにかく身体に気を付けて下さい
そして今日皆に貰ったパワーでまた頑張る力が湧いて
きました
お父さんが帰ってくるまで皆がんばりましょう
母が父の胸にブートニアを挿した途端子供たちから
キースキースキースのコールが・・・
調子にのった皆からのコールが・・・
父と母は皆の期待に応えてほっぺに
その後は皆で記念撮影
父が若い頃本当は教会式で挙式したかったと聞いたことがあった
(父母の頃はまだ神前式が主流だった 母の両親の意向を重視して
神前式で挙式したことは聞いたことがある)
今日また新たに教会式で父と母の再出発の後押しが少しでも
出来たら・・・
お父さんお母さん
結婚45周年おめでとうございます
おまけ・・・
帰りがけロビーにはもうクリスマスが訪れていた
願い事をしながらオーナメントを付けて完成させる
クリスマスツリーに皆夢中
祝・・・第2楽章 [イベント]
・・・そして
メインイベントの始まり
乾杯の発声は妹のご主人
もう間もなく2児の父となる
挨拶はとても心温まるもので父母へ向けとの労いの言葉
自分もこれから家庭をしっかり支えたいという気持ちが語られた後
皆一斉に
かんばぁ~い
そして会食へ
事前にシェフ・板長と話し合って決めたメニュー
しばし歓談・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大分お腹も満たされてきたし
ではそろそろ
あれの時間
子供たちを会場外に集め
予定通り旗や笛を持って入場
応援団
僕たち私たちは
おじいちゃん・おばあちゃんの応援団だぁ
おじいちゃん47年間お疲れ様でしたぁ
おばあちゃん70歳の古稀のお祝いおめでとう
これからおじいちゃんとおばあちゃんの健康を祈って~
フレーフレーおじいちゃん
フレフレおばあちゃん・・・
ガンバレーがんバレー・・・
・・・3・3・7拍子・・・
と二人にエ-ルを贈った
父も母も後にアンコールする位喜んだ
特に母は父の為の集まりだと思っていた分
自分まで応援してくれるなんてと涙した
でもまだまだ私たちの中ではこれからこれから
食事がまだ途中だったけど
妹達から合図が
そうそうこの流れでプレゼントを渡すんだったっけ
身内ということであまりちゃんと進行内容が頭に入ってない
ではここで皆からプレゼントがあります
誰が何を持っていくか決めてたけどここも頭に入ってない
あちゃ(>_<)と思っている間もなく
皆ぞろぞろとプレゼントを渡し出す
父と母の名前で詩を作って貰ったネームインポエム
2人お揃いのプラチナネックレス
そして皆それぞれからの手紙と色紙
母の目が潤み父も少し声が潤んだ
ちゃんと綴られていた
父も母もすぐにネックレスを付けたり
ポエムを読んだりと本当に喜んでくれた
食事がまだ残っていたが母は喉に通らなくなってしまったらしい
(もうちょっと後にすればよかったかな?)
そして事前にお願いしてあった母から父への言葉
父をしっかりサポートしてきた母
良い時ばかりではないことも知っているけど
母はいつも一生懸命支えてきた
母からの言葉は父にだけではなく皆への感謝の気持ちで
まとめられそれぞれの目が潤んだ
それでは・・・
の言葉に父も母もおひらきだと思ったようだが
まだあるんです
2人の大好きな曲
『川の流れのように』の替歌
『父と母のように』
妹たちが考えてくれた歌詞で歌詞カードを用意
皆に配り
皆で合唱
特に父に向けた『父と母のように』は母がとても喜び
歌詞カードは大事にとっておくとバックにしまった
(実は皆とても気持ちよく唄ってしまったのでこのシーンだけ写真も動画も残ってない)
そしてあうりん家では長男であるダーンが閉めた
「人生とは今日食べたフルコースのようだ。前菜からはじまり
色々な味や食感がある。そして最後には甘いデザートだ。
ベトナムから帰ったら是非甘いデザートのように過ごしてほしい。」と・・・
少しお酒も入ったので2回くらい同じことを言っていたけど
まとめるとこんな事を伝えたかったのだろうな
そしておひらき
父はとっても上機嫌
母も本当に感謝感激と嬉しそうにしていた
すっかり帰るつもりの2人だけど実はこれからが
私たちが一番したかっと事へとつづく・・・
『父と母のように』の歌詞は続きへ→
祝・・・第1楽章 [イベント]
2011年11月5日 19:00
ホテルBに於いて
18:30集合予定
皆早めの到着
仕事だった私も慌てて支度をして会場へ
あらかじめ決めておいた席に各々12名が着席
即興で私の司会進行で会がスタート
まずは本日メインの父からの挨拶
(密かに母もサブメインなんだけど母はまだ何も知らない)
私も今では75歳になった 社会的には後期高齢者だ
47年勤めた会社を退任することを決意し決算も終わった
今まで諸先輩方に支えられここまでやってこれた
その中でも今目の前にいる妻には自分の全てを受け入れてもらい
一番支えてもらってきた
本当に自分を健康に産んでくれた両親をはじめ皆に感謝して
第一の人生を終えた
とまずは挨拶が終了
そして話は父の生い立ちへ
幼少期島根で生まれ育ち周りには山や川・畑しかなかった
食べる物もろくに無く学校の校庭を耕して芋を育てそれが食料源となっていたと…
7人兄弟の父の家は貧しく裸足で山や川を過ごしていた
人間鍛えれば裸足でも山も歩ければ川も渡れるほど強いのだと語った
毎日片道4Kmの小学校も裸足で通ったそうだ
小学校に入って一年生のある日
父は生の大豆に食あたりし40日の高熱を出し
当時のお医者様には見放されたそうだ
その時父の父
今は亡き祖父が毎日出雲大社にお参りに行き祈願した途端に
父は回復し命拾いしたのだそうだ
父が信心深いのはここから来ているのかもしれない
父はその時こう思ったそうだ
なぜ生き返ったのだろう?まだやるべき事があると言われているように思ったそうだ
そして
一度は死んだ人間
人生楽しもう
好きな事を存分にしようと
小学校から中学校までは家の手伝いばかりで成績はビリだったらしい
どこにも入れるはずのない高校は祖父のつてで入れてもらったところに大きな出逢いがあった
先生だ
勉強がまったく出来ない父をその先生は熱心に教えてくれたそうだ
そこから父は学ぶことのおもしろさや楽しさを知りなんとその高校を首席で卒業
後に大学の法律学部に入り弁護士を目指す
そこではとても恵まれ個室での勉強が出来たそうだ
しかし弁護士になる為の6項目の内どうしても2項目がクリア出来ず夢を断念
一般企業に就職
下宿先で27歳の時に管理人と友人だった母と出逢う
結婚を決めるがその時父は1文無し
2年間貯金するが結局親たちを頼らざる得なかったらしい
その2年後友人たちと会社を立ち上げる事を決意
持ち前の真の強さと野山を駆けずり回って鍛えた足腰で
本社を立ち上げ工場に至ってはベトナムを含め5箇所まで広げ今日があると
父はここまでこれたのも全て人と人の繋がりだという
47年間 誠実・情熱・熱意を信念としてやってきたが
この3つさえあればもうダメだと思った時でも必ず誰かが手を差し伸べてくれる
出逢いはとても大切
その出逢いの中で人生がどう変わるかは自分次第だと
そして最後のわがままとして
後2年だけ何も分からない状態で立ち上げたベトナムの会社で
第2の人生をがんばらせて欲しいと
帰ってきたら母とゆっくり過ごしたいと
予定より長い挨拶だったけど
子供たちもちゃんと父の話をよく聞いていた
私ですら知らない話が沢山あって本当に父の生き様を知ったような気がした
その後は乾杯に入るが続きは第2楽章で…
いよいよメインの始まりです
ある計画 [イベント]
30歳で立ち上げ76歳までひたすら走り続けてきた
私たちは三人姉妹
父の後を誰も継いでいくことが出来なかった
自分が男性だったらまたきっと違っていたんだろうなと何度も思った
結局先日手放すことを決意したと…
やっとこれで少しはごゆっくり隠居生活かと思いきや
また関係会社の関係でこれまでも年間何回か行っていたベトナムへ2年も行くという( ̄ロ ̄;)
昨年ガンを患ったし低血圧で倒れることもある
しかし人一倍頑固な父に何を言っても聞くはずもなく
家族は見守ることにした
そこで来月盛大に『父の退任と気をつけていってらっしゃい会』を私の働くホテルで開催予定
父に喜んでもらいたい(^-^)
母も楽しみにしている
…母は知らないが実はサブライズも予定
今年母は70歳!
そして結婚45周年!
そう!!
古稀の祝&サファイア婚
こちらの企画も今家族で思案中
今年手術を乗り越えた母と父にとって素敵な1日になりますように♪
in大阪 [イベント]
行ってきました
大阪へ
登校日だったあちゃちと待ち合わせて新幹線に乗り込み
相変わらずの珍道中
相席で買ったつもりの席はバラバラだったり…
タクシーで着いた場所が行き過ぎだったり
やっぱりは私はあちゃちのまみ-だと改めて実感
そんなこんなでなんとか無事到着
新幹線内で食べたお弁当では足りなかったあちゃち
コンビニでおでんを買ってダンボールテ-ブルで夜食
なぜかホルモン焼きをたらふく食べたう-てぃとぴょこりまで
そして
いよいよ『あゆみよろう婚式』スタート
何も知らないダーン
きょとん
でもちゃんと応じてくれた
あちゃちの始めの言葉
これから………あっえっ
・・・で、どうするんだっけ
まみ- と大声で呼ばれ
一つずつ指示
流石あちゃち
音楽を流すタイミングも絶妙なお笑いタイミング
せっかく真面目にやろうと思ってるのに
気を取り直して
う-てぃからの誓約
やっとまともな式になってきた
う-てぃがあらかじめ決めてくれた誓約
(私も内容は知らない)
う-てぃならではの誓約だった
ダーンも『誓います』と…
びょこりによる指輪の交換
シャイなびょこりは隠れたり下向いたりしてたけど
あちゃちのエスコートで何とか言えた
進行にはないはずの誓いのキス
そして
誓約書にみんなでサイン
誓約宣言
ずっと家族仲良くやっていこう…と
最後のお祈り
う-てぃが即興で締めた
無事にダーンの転勤が終わって
また皆で暮らせますように
皆で寄せ書きした色紙を読み出したダーンが
涙
えっ 涙 ?
そう 一番寂しいのはダーンなんだ
帰りの新幹線ではみんな
涙 涙 涙…
今日からまた新たなスタート
ダーンの帰りを待ちながら温めておこう
そして
指輪復活
〇〇婚式 [イベント]
その後・・・・・
話し合いはしたものの・・・・・
相変わらずダ-ンとの会話はなんとなくぎくしゃく
このままでは…
・
・
・
・
・
ひらめいた
〇〇婚式をやろう
大阪に行った日に家族だけで誓っておこう!
(私達、結婚指輪まではずしてしまっているし)
子供たちの前でしっかりもう一度指輪交換をしよう!
誓いの言葉はあちゃちとうーてぃに考えてもらおう!
などなど色々思い付き・・・
誓約書・式次第・・・と色々用意してみたけど
果たして応じてくれるだろうか??
不安、不安、不安
明日、仕事が終わって後から大阪にあちゃちと行く予定
その後 決行
名付けて 『あゆみよろう婚式』
家族皆の名前の文字を入れた式タイトルを
同僚のJOHNさんがつけてくれた
JOHNさんありがとう
明日がんばってきます
年末年始 [イベント]
年越しからお正月終わるまでかなり食べまくり
健康診断でコレステロールだけがCランク
かなり低いらしい
でもこの一週間でかなり上がっているはず
まず始まりは年末29日のブライダルスタッフとの忘年会
魚介類鍋をふんだんに食べて・・・
最後にはパスタを入れて・・・そして締めはリゾッット
そしてまだまだ続く
デザートはケーキ
大人も子供もハンデなしのじゃんけん争奪合戦
私がゲットしたのは順番的にはかなり上位のこれ
こんなことになっている人もいましたが
どんだけたべるんだぁ~って感じで
何とも楽しいおのおの皆好きな事して過ごした忘年会でした!
しかし食べまくりはまだまだ続き・・・
そして元旦
ダ-ンの実家でいつも皆で行きつけの
ホテル内の中華レストランの豪華おせちにタラバ蟹(写真撮るの忘れた)
そして夕飯はお刺身
翌日は我が家だけの自宅でのお正月
朝(昼に近い)から牛刺
夜は三姉妹ファミリー、父母とまたずわい蟹にちらし寿司、お刺身
どんだけ食べたか
さすがに3日に行った初詣で出ていた屋台達にはいつもなら
あれもこれもと立ち寄るのに今年はそんな気なし
食べたのは玉こんにゃくだけ
結局お参りしておみくじひいて写真撮って街を練り歩き
ラーメン食べて帰宅
やけにラーメンがおいしくホッとしたことか
所詮味覚は庶民的に出来ている
おみくじは『吉』
大吉じゃなかったけど今の私には当てはまる事が沢山
読み返す為に結ばずにお持ち帰り
今年も無事にお参りして新たなお守りを授かり一安心
安心出来ないのは昨日の初出勤で履いた制服のパンツ
ふともも辺りがきつかった
きゃあ~
しばらくは粗食でいかなければ
2010年スタート [イベント]
朝から天気もよく気持ちのいいスタート(^O^)
只今ダ-ンの実家(木更津の隣町の君津)向かい途中!
いつもは泊まりで行くのだけど今回は休みも短く日帰り予定
家族で高速バスに乗ってちょっとした小旅行気分
今年もまた家族揃って新年を迎えられて幸せ
ぴょこりは今膝の上でオネンネ中
う-てぃは東京駅でマンチェスタのバックを見付け
お年玉前借りで購入で嬉しそう
あちゃちは食い気
途中でお年賀に買った川越の銘菓『いも恋』を食べるように
欲しいとおねだり
とっととバスに乗るや否やすぐ食し満足
皆それぞれの個性があって今年はどんな事があるのだろう
私はまずは自分の体調管理をして
愛情を常に忘れずによい年にしよう(^0^)/
ちょっと遅いクリスマスパーティー [イベント]
先日3姉妹の一家と父母の合計11名と
妹のお腹に芽生えたばかりの命1名と小さい家族犬2匹と猫1匹で
ちょっと遅いクリスマスパーティーを開催
皆の為に作りました
クリスマスケーキ
つわりのひどい末妹パコが私の焼いたスポンジが大好きで
いつもの倍の量で焼きました
作り始めると勿論興味深々なぴょこりは覗きにきますねぇ
まだ何もしてない小麦粉はそのまま舐めるは
砂糖の塊を見つければ食べるは(虫歯になっちゃう)
とにかく全てまだ材料のうちから食べまくり
仕方がないのでカメラマンをお願いしたらまぁまぁ何となく
ちゃんと撮ってくれました
ちゃんと焼き上げ前と後もしっかり
実はクリスマスの他すぐ下の妹ニャキのバースデーでもあり
ケーキはバースデイとクリスマスと兼用だねという事になっていた
先日ニャキと買い物に行った時見付けたろうそく
なんてニャキが言ったいたけど結局買わず仕舞い
そうだサブライズようで
こっそり別の日購入
食事が終わり後片付けが済んでさぁデザートタイム
一緒に飾り付けはしたけどニャキはまだろうそくの事は知らず
『やっぱりあのろうそく買っとけばよかった』と後悔してるみたい
こーんな感じに飾りつけ
でも実際の仕上げはこう
私の心の中はしめたよしって感じ
『ケーキは最後に私が持って行くね『って言うと
なんでって感じのニャキ
後からパコの話によると『自分で作ったから持ってきたいんじゃないの』って言ってたらしい
そんなぁ
でもでもケーキ持って行った時にはすごくすご~く喜んでくれて
たった2本のろうそくが幸せを運んできてくれました
後はクリスマスソングではなくHAPPY BIRTHDAYを皆で歌って
ちょっと大きめなケーキを食べて
楽しいクリスマスパーティーが
出来た事を今年も感謝